いじめは絶対悪

幼い集団心理ほど危険なものはない。

大人の同調圧力ほどやっかいなものはない。

 

集団に属さず、客観視すれば、いじめる側の心理はとうてい理解できない。女性同士のやっかみや陰口も「困りものだ」と声高に言うことができる。しかし、一度集団に属してしまうと、主張することをためらってしまう。妙だと思ったことを指摘できなくなる。人間はやっかいだ。

 

子供の場合、そこに幼さが加わる。学校でいじめが起こるのは、幼稚な感情をコントロールできないからだ。だから、常に大人が誘導してやらなければならない。しかし、いじめが絶対悪だと考えられない大人は多い。そして、どの子供に対しても理想を抱きがちだ。

 

「うちの子供に限って」

「うちの学校の子供に限って」

「きっとすぐに気付いてくれる」

「成長するに決まっている」

 

どの子供にも可能性を見出すことはとても大切なことだ。そして、愛情を傾けることも大切だ。だが、いじめられている子供やその保護者の思いを最優先に考えていかないと悲劇はなくならない。何のためにいじめ防止対策推進法が施行されて、いじめ基本方針が発表されたのか、もう一度考えてみる必要がある。

 

大人の認識の甘さが重大事態を引き起こし、いじめた側には心の傷を残してしまう。

一人一人が優しい大人であるためには、勇気をもって子供達を厳しい目でみなければならないときもある。

 

「もしかしたらうちの子が」

「うちの学校の子供たちにもあるかも」

「言わなければ気付かないかも」

「今こそ成長してもらわなければ」

 

大人が“いじめ防止対策推進法”の基本理念を学び、急いで認識の転換を図らなければならない。