地方に残る「自称進学校」は… 

"ムダ学習の温床"

ずいぶん衝撃的なタイトルだ。2/25の夕方に配信された東洋経済オンラインの記事。

しかし、ずっと気になっていた公立高校の0時間や8時間といった補習授業(という名の拘束時間)の問題を含め、高校の履修内容の矛盾が明確になった気がした。

 

大学進学のためだけに「学校」が存在しているわけではない―確かにそうなのだが、心身の健康を除けば、生徒の進路ほど「進学校」に重要なことがあるだろうか。

 

大学入試の傾向や教科選択は多岐にわたる。それを無視した課題や授業が生徒の負担になっていることは間違いない。塾を否定する教員が少なくないという現状、国公立に偏った進路指導の存在、意味のないノート提出や丸暗記を促すような定期テスト、返却のない小テスト(実施することに意味があるということか??)などを含め、書き出せば枚挙にいとまがない。

 

大学によって入試の傾向が異なることを前提にすれば、個別に対応しなければならなくなる。基本的に一斉指導スタイルの高校にそこまで望むわけではないが、効果的な大学入試対策をと考えるなら個別指導が手っ取り早い。高校生の保護者さんと話したときに「家庭教師が一番有効。でも合うかどうかを模索しているうちに時間が過ぎてしまう。」と話したことがあった。2か月前くらいのことだ。

 

あまりに今回の記事の内容と自分の考えが似通っていて驚いた。ということは、同じように考えている保護者たちも多いということだろう。わかっているけれどもあきらめているのだろうか。塾へ通わせてしのいでいるのだろうか。

 

自分一人が感じていることではなかったという安堵。

これで高校の問題が解決したわけではないという不安。

 

生徒の将来やニーズを支えていける学校づくりが必要なのだとどうしても考えてしまう。