塾や予備校は…。

自分も以前はそうだったからわかる。

“塾や予備校に通わず、自分の進路を実現すること”がよりよいとする考えだ。

 

点数を取るために塾に通い、入試の合格を勝ち取るために家庭教師を雇う―それを邪道だと感じるのは点数稼ぎが子供に悪影響を及ぼすと考えるのだろうか。それとも、経済的に恵まれた子供だけが享受できることなので抵抗があるのだろうか。

 

勉強をすること自体は「努力」が必要になる。そのための手法の一つとして家庭がお金を出す決断をするのは良くないことなのだろうか。問題集を購入したり、ネットで学習アプリをダウンロードすることはどうなのだろうか。くもんや学研といった基礎学習を支える内容であれば容認されるのだろうか。ベネッセのような毎月配送される問題集ならセーフなのだろうか。

 

学校の教員の中には、塾を否定してかかる人は多い。大学の教員の中にも、予備校を否定的に見る人は多い。塾講師や予備校講師に差別的な視線を向ける人がいることも知っている。

 

だが現在の日本社会では、塾や予備校が必要とされているものだと思うのだ。日本の子供達は教育産業で学力を支えられている面があるということだ。それに気付いている人はどれくらいいるのだろうか。高校入試制度が子供の将来を決定するなら、進学先の確保のために教育産業に頼る家庭は後を絶たないだろう。

 

ある塾が中国新聞の紙面に広告を掲載したことがあった。広島大学の先生の顔写真入りで。教育を支える塾の功績をはっきりと書いたその広告は現実を示しているように感じた。(ほんとうに残念だが、その広告を残していない上にどこの塾だったのかも覚えていない。)

 

日本教育史を少し覗けばわかるが、人材にどのような能力を求めるかは時代と社会が要請する。おおやけの機関だけが時代を代表する人間を育てたわけではない。日本人を育成してきた歴史の中には、私塾があるということだ。

 

もちろん、現代の学校の在り方が重要なのは言うまでもない。しかし、社会的ニーズがある限り教育産業はどの時代にも存在し続けることになる。