公教育ってなんだろう??

子供が通っていた保育所のことを思い出した。                               幼稚園も保育園も公立や私立の施設が混在する。うちが預けていたのは公立の認可保育所だ。ずいぶんお世話になった。子供はアイスクリームを初めて保育園で口にしたし、脱脂粉乳を「ミルク」と言うようになった(苦笑)。いろいろな初めてがあって、小さいなりに「世の中」を味わったのだ。ずいぶんいろいろと園長先生には相談にのっていただいた。うちは待機児童だった上に、住んでいた所からも職場からも遠い保育所に預けていたからだ。

 

卒園する直前の保護者の集まりの中で、園長先生は笑顔を絶やさずにこう言われた。「ひらがなは読めるようにしておいた方がいいよ。自分の名前くらいは書けるといいね」それを聞いていた保護者は一様に「えっ?!」となった。(もちろん、上のお子さんがいてわかっている人もいた)

 

保育所は基本的にお勉強を教えない。子供を預かる目的が保育だからだ。それでも、イスに座ってお絵かきをしたり、園庭でおにごっこなどはさせてくれる。給食があるところも多い。だが、働く親は自分の子供と接する時間が極端に少ない。まさか「ひらがなを読めるようにする」という仕事が親のところに回ってくるとは考えていなかったのだ。親世代は自分たちがひらがなを習得した時期のことを覚えていないだろう。 小学校に行けばひらがなくらい読めるようになると思っていたのかもしれない。

 

現在の小学校1年生はひらがなとカタカナと漢字80字を習う。1年間であれもこれも習うので、現実として入学前から学習準備に入った方がいい。現行の学習指導要領では学力重視傾向にある。新学習指導要領も同じだ。しかし保育園ではお勉強に関することをほぼ説明しない(そこは保育士の仕事ではないから)。

 

現実と制度のギャップだ。子供にとって必要だとわかっていても手を出さない領域が保育園にはあった。もちろん学校にもある。敏感に察知できてゆとりのある家庭だけが享受する何かが多すぎる。本当に一人一人の人生を豊かなものにするためには、公教育を変えてゆかざるをえない。理想ばかりをハイレベルにして、現実とのギャップを作り続けていては保育士や教員、子供達が苦しむことになる。                         

                                                     この問題、なかなか闇が深い。