SNSに思うこと

人の生き方は多様でいいのではないか。

そこに議論が巻き起こるのも多少はあってもいい気がする。

しかし故意に他人を傷付けるような言葉を使うのはちょっと趣旨が違う。何かの狙いがあって、あえてそうする人もいるだろうが、軽率に乱暴な言葉を他者へ向けるのは間違っている。

 

こうやって文章を綴るのが恐いと思うことは多々ある。以前ツイッターを使っていたこともあるが、自分の発する言葉の端々が気になってしまって疎遠になった。

 

しかし元来「思う」ことが多い毎日を送っていると、こうやって発散したくなるのも事実だ。自由な時間ができると、ふとここへ戻ってきてしまう。

 

SNSにはそういう快適さがある。「快適さ」は「自由」でもある。そして「自由」が行きすぎると傷付ける人を作る。言語環境は人を作る。コロナ禍だからこそ心を豊かにする必要がある。発する人も受け止める人も、自分の言語環境を健全に保つことを心がけた方がいい。

学校も予備校も変わらなければならない

学校が休校になる。誰も想定していなかった状態が続いている。

しかし、子供達は一日一日成長する。

 

昨夜、グループラインで切実な声を聞いた。

「公立学校でのオンライン授業は今はまだ無理。公平性が担保できない(公立高校教員)」

 

インターネットを使えない、利用制限がある、など地域や家庭によって状況がさまざまだからだ。ハードの問題もある。パソコンやタブレットがない、ルーターがないなど。だから学校は一定程度”紙”に頼らざるを得ない。

 

だが教育を受ける権利の停滞は続く。

 

「あの手この手を尽くして、課題が見つかれば対応するぐらいでないとね(公立高校教員)」という意見もあった。とにかく迅速に手段を講ずるためにはそのくらいの覚悟は必要なはずだ。しかし公立学校にはできない。組織だから。(何かあつた場合の)責任が取れないから。一人一人の児童生徒にとって平等でない措置には踏み切れない。

 

その点、配付するプリント等の”紙”には安心感がある。だから今は家庭訪問を実施する学校も広島は多い。その際、手渡しすることができるのが”紙”だ。

 

理科の実験前の興味関心付けをイラストで伝えようと工夫した中学校教員もいた。コマまんがになっていて、生徒でも簡単に読むことができる。 画像か紙ですべての生徒に読んでもらおうという考えだ。

 

NHKの番組の活用も同時に提案していた。テレビなら、ほぼ全家庭で見ることができる。

 

もちろんまだ課題だらけ。教育界にも閉塞感が漂い始めた今、教員の情熱だけが救いになる。中学校と高等学校の教員間で意気投合している様は「なんとかして子供達を守りたい」という思いの表れだ。

 

 

 

 

延期が心配

地方公務員試験の日程が続々と延期になっている。

中止するわけにいかないだろうから、年度中になんとかして実施されるのだろうけど、延期の延期になりそう。

 

全国の教員採用試験も心配。学校教育を一時的にストップさせても、学校運営は続いている。教員採用試験もやらないわけにはいかない。

 

できるのだろうか…。

令和2年度教員採用試験

広島県広島市の教員採用試験最終合格発表が近づいている。いつものことだがそわそわする。どーんと構えておくことができない。

なぜなら公立学校の教育の質は教員の努力によって保たれているから。

 

不登校やいじめといった問題も学力向上策や道徳性の涵養も体力つくりも外国籍の子供の対応も食育もetc…、学校は全部担う必要がある。(本当は塾やフリースクール、親族や兄弟、地域や放課後デイ、NPO等の環境によって子供たちは育っていくけど。)

依然として学校の存在は大きい。

学校教員の存在は常に重要だ。

 

今年も一次試験の倍率が教科・科目間で開きがあった。特に小学校教員の倍率はひどかった。過去最低だ。昨年も最低を更新したが、さらに更新だ。

 

クラスになじめていない児童生徒をすぐに察知したり、成長を見越した声かけをしたりといった必要な能力はある程度培われるものだとしても、こつこつ努力することの大切さを知らない教員が一部で量産されているようで悲しい。

 

中学生の通う塾

地元広島で非常に評判の良い塾として、田中学習会があります。講師はとても指導熱心で保護者からも支持されています。「どこに通塾させようかなあ」という会話が聞こえてきたら、真っ先に「田中学習会があるよ」と言ってきました。

 

中学生本人が通塾を希望するならもちろん、まず通わせてみるのがいいのではないかと考えるのが私個人の考えです。塾にはもちろんお金がかかるので、すべての子供が塾の恩恵を受けることはできないでしょう。ただ、たいていの塾が無料体験を実施しているので、その間は「タダ」で指導を受けることができます。

 

個人塾の中には、(一部ですが)設定された料金の枠外で教えてくれるところもあります。経済的な事情を話し、できる範囲で工夫してもらうというものです。現に、自分が学生のときに家庭教師を頼まれたある家庭では(学生家庭教師の相場の料金を話した後)、「え、ってことは月に…。無理だなあ。うちの限度額は○円。」と言われました。

 

結果、その家庭の希望額で1年間通わせてもらいました。引っ越されて現在はどこにお住まいかもわからなくなってしまいましたが、そんなこともあったな、元気かなと懐かしい思いです。

 

知人で、小さな塾を経営している人がいます。                      その人は家庭の経済的事情がある場合は「しばらく料金をもらわない」こともあると言ってました。それどころか塾生の家庭が突然経済的な大黒柱を失い、大学進学を断念せざるをえない状況になったときに、進学するよう説得し、さらに進学費用の一部を出したそうです。

 

もちろん、このようなケースは例外なので宣伝されるような内容ではありません。だからこそ諦めがちですが、伝え方によっては個人塾や(派遣でない)家庭教師の指導を受けることもできるということです。

 

学校だけで学習内容が補完できるか?という問題に対してはさまざまな考え方があるでしょう。子供の努力を後押しする方法として外部の指導を考えてみるのも方法だと思うのです。

 

 

職場の(上司の)ことでまる三日間悩む

上司だと思うから腹もたち、理解しようとするから困惑する。重要なことだから集中して耳を傾けたり質問したりしてみるも、「だから言ってるじゃないですか」と逆ギレ。

 

こちらの能力がないと言わんばかりの態度に、これ以上対話をする気もなくなる。仕事ができるふりをして、周囲にばかり責任を押しつける。もう何年もこれを繰り返していて、(仕事への)情熱維持が困難な状態だ。

 

波風立たないようにするにはこっそり退職すればいいとわかっているものの、仕事内容には魅力があるためなかなか踏み切れない。

 

何か良い方法はないだろうか、と10年来の仲間にグループラインでそれとなく愚痴をこぼす。

 

と、

 

でるわでるわ。みんな同じような悩みを抱えながら仕事をしている。「時折愚痴を誰かに言うことで発散しながら爆発を抑えている」という人もいた。

 

当面は仕事への責任があるので、確認しなければならないことの連絡を別の人にお願いしている。届いたメールの一つを読んでみてビックリ。社内で上手にコミュニケーションをとっているとばかり思っていた人も同じこと(人)で悩んでいたらしい。

 

自分の切羽詰まった状況を理解してくれて、さりげなくフォローしてくれる人がいるのはありがたい。

 

こうやって(いい)人とのつながりで同じ職場に居つづけるのかもしれない。

自分のことは見えにくい。周囲を悩まさないように日頃の振る舞いを顧みながら前進しようと思う。