SNSに思うこと

人の生き方は多様でいいのではないか。

そこに議論が巻き起こるのも多少はあってもいい気がする。

しかし故意に他人を傷付けるような言葉を使うのはちょっと趣旨が違う。何かの狙いがあって、あえてそうする人もいるだろうが、軽率に乱暴な言葉を他者へ向けるのは間違っている。

 

こうやって文章を綴るのが恐いと思うことは多々ある。以前ツイッターを使っていたこともあるが、自分の発する言葉の端々が気になってしまって疎遠になった。

 

しかし元来「思う」ことが多い毎日を送っていると、こうやって発散したくなるのも事実だ。自由な時間ができると、ふとここへ戻ってきてしまう。

 

SNSにはそういう快適さがある。「快適さ」は「自由」でもある。そして「自由」が行きすぎると傷付ける人を作る。言語環境は人を作る。コロナ禍だからこそ心を豊かにする必要がある。発する人も受け止める人も、自分の言語環境を健全に保つことを心がけた方がいい。