過保護か否か、そこが問題だ。

今日はある人と一年ぶりに会っていた。                                子供が同じ年ということもあって、気が合う(と、私は思っている)。この知人の会話はスマートで、他人の誹謗中傷が混ざらない。話していてとても心地が良いのである。 スケジュールを合わせて調整してまで会う相手は私の中では珍しい。食事を終了して解散した後の「楽しかった!」という思いは、昨年会ったときと変わっていない。

 

互いの子供の話が中心だったが、自分の子育てを客観視できる場なんて、そうめったにないので貴重な時間だった。一緒に過ごす時間が少ないにも関わらず、「(子供を見て)過保護に育った子だと判断されることがある」と私が言うと、知人は「それは視点がずれている。過保護ではなく、いつでも愛情を受けているように見えるだけ」と言ってくれた。結局同じことなのかもしれないけれど、言葉が違うだけでこんなにも安心感があるのはなぜなのだろう?不思議である。

 

「過保護=子供に悪影響」なのだ。だから親としては問題視する。子供の自立を阻むなら、どうにか手を出さずにいたい。しかしそもそも共有する時間が少ない場合は、これ以上関わりを少なくしてはまずい気がする。だから、もしかしたら、気持ちの上では過保護なのかもしれない。そこが過保護っぽく映るのだとしたら??

 

子育ては難しい。小学生のときにそれなりに自立した子でも、中学生や高校生になって相応の自立ができているかというとわからない。学校教員から見える姿と親から見える姿は違うかもしれない。しかしどこかに社会的規準があって、「あいつは過保護に育った」と判断される。過保護の指標がどこかにあれば子育てもわかりやすくなるのに、と思う。そんなものはないから、子育ては難しいのだが。