「教え合う」という学習活動

「主体的、対話的で深い学び」(アクティブ・ラーニング)は新学習指導要領が示す授業改善の視点だ。“学び合い”がその一環だと言われるのは、対話的な学びの中に子供同士の協働があるからだ。

 

児童生徒が教え合うことを意識するあまり「先生が教えることを放棄していないか」といった声が保護者から上がっているという。

 

確かに学校の教室で話し合いや意見交換が多くなると、役割が児童生徒の中で固定されがちになることもあるだろう。しかし「教え合う」ばかりがアクティブラーニングではない。一人一人がじっくりと考え、表現することも活動の一つだ。既習した学習を振り返り、疑問を抱いたり関心事を見つけたりすることも大切だ。(というようなことも学習指導要領に示してある。)

 

児童生徒がどのような活動をするのかは教科や単元によっても違う。教員は授業の展開を予測しながら、予期できぬ展開に備えなければならないので、授業の準備には時間がかかる。さらに児童生徒の反応に合わせて次時の授業内容を組むのは、今までの(一方通行の)やり方では通用しないかもしれない。だから、教えることを放棄することにはならないと思う。(やり方さえ雑にならなければ、だが。)

 

とは言え、「教え合う」ときの役割を固定せず、できるだけ児童生徒の成長に合わせて幅を持たせられることが望ましいのは確かだ。そのためにも「教え合う」以外の多様な活動を取り入れていくことが必要だ。

 

書くことが得意な子供もいるだろうし、発表するのが得意な子もいるだろう。じっくり観察するのが得意な子供もいるだろうし、比較して見つける子供もいるだろう。競争好きな子供やデータを序列化することを好む子供がいるなら「ようい、ドン」で速さを競ってもいい。その後グループ学習に持ち込めばメリハリもできる。表現方法も紙と鉛筆だけに頼らず、さまざまな物を取り入れることで活動ごとに主役が代わる可能性がある。

 

ここまでツラツラと書いたが、基本的な学習姿勢が身に付くのも学校の先生方の指導のお陰だ。その上での学習活動であることは間違いない。アクティブラーニングが注目されているようだが、学校の教室にはもっと複雑な何かがあるように感じる。

 

私たちが学校教育を理解することが、教員の仕事を応援することになると思っている。