トラウマになっているようだ…

息子くんの学校の文化祭に行ってきた。体温の測定や健康チェック票の提出をしてコロナ対策もバッチリだった。

 

本当は当日の諸々のお手伝いに保護者として参加するつもりだったのだが、尻込みしてしまった。自分のことなのだがその心理がわからないでいる。「人見知りだから」というのも一因だろうがそれだけではないぞ、と思う。

 

おそらく小学校のときのPTA役員の在り方が遠因だろう。「子供が卒業するまでに執行役員をやらなければならない」という取り決めがあって、その当時の先生方もPTA執行部もその言葉を便利に使っていた気がする。

 

共働きでしかも職場が自宅から遠い人も多く、帰宅してから学校へ行くことなどできないので(行ってもいいけど閉まってる)、役員同士の話し合いは互いの自宅を行き来するか電話になる上、夜間になる。ホントは1円でもお金が必要なことは学校でやるべきだと知りながら、配付資料の印刷なんかは職場でやったり、自宅のコピー機を使たりした。

 

子供とふれあうなけなしのおうち時間をPTA活動に取られてしまうわけだ。

 

だから共働き家庭の保護者や未就学児を抱える家庭に負担になることを課す学校が「鬼」に見えたこともある。「もうPTAなくしちゃえよ」と思ったこともしばしば。東京の新設小学校が校長裁量でPTA組織を作らなかったと知ったときは「なくてもいい学校もあるんじゃん」と羨ましく思った。

 

そうそう、イベント企画で料理をすることにストップがかかったことがあった。「生もの」を扱うのは危険だから、ということだった。「生もの」って言っても、やろうとしたのは団子作り。湯をわかして粉を練るだけだ。何が危険なのかわからないまま従った。

 

後で知ったのだが、別の学年はカレーライスを作って食べたそうだ。ちゃんとお肉も入っていたらしい。「生もの」の定義って何だろうか。

 

長机が必要なので、会議室のものを使いたいというと「いやあそこのは主幹先生か教頭先生に聞かないと」ということで

 

教頭先生を探し回って了解を得たら、

 

後日担任の先生から「いやいや外には出しちゃだめでしょ」と言われ、

 

結局、学校勤務歴の長い先生にお伺いを立てるのが一番早いと知ったときには

1ヶ月がたっていたものだ。

 

めちゃくちゃ効率が悪い。

それがPTA活動だ。

 

関われば、睡眠時間がなくなったり体調を崩したりするというトラウマ…

どうにかしてほしい。