学校からの魅力的な非常口が必要だ!

不登校が過去最多で、思うこと

 石井志昂 さんの記事を読んだ。本日のブログのタイトルはそこから引用した表現。非常に感銘を受けたし、あまり器用でない我が子の人生に置き換えて考えてもみた。学校へ行けないこと・行かないことを自らの意志だと感じる子供は少ない。周囲の大人の慌てぶりや学校の対応を見て「自分だけが」と思うのは無理もない。

 

しかし不登校はもはや孤独なものではない。きっとこれからも増える。小さなきっかけがひきがねになって、学校生活は苦しいものに変化するからだ。そうなってしまうと残念ながら学校にひきとめるだけの力がない。苦しいものを超えるだけの魅力がないのだ。

 

現行の学習指導要領が学力重視傾向になったのを見て、不登校が増えるだろうという予測はできた。学校教員の多忙を見るにつけて、学校の魅力が減っているのも感じる。新学習指導要領が不登校の支援を本人や保護者の意思を尊重するものだと示してもなお、「登校という結果のみを目標にする」教員は多いだろうと思う。

 

まずそこが間違っている。教員の意識を改革すべきだ。教員の教育に対する学び直しが必要である。それから家庭への啓発だ。現在はフリースクールがあり、高校生には通信制の学校がある。本当は国や県、市町村が教育のための予算を付け、学校以外の学びの場を確保する必要がある。既存のフリースクールを支援・統合する形でもいい。どのような場で、どのような人が関わり、どのような学びを生み出せるのかは自治体の本気度によって違っていいのではないかと思う。

 

不登校の子供を地元に貢献できる人材として育成し、地域を活性化できれば、それが自治体の本望ではないか。できれば広島がいち早く着手してくれることを願う。