PTA組織の難しさ

子供が卒業した公立小学校は、保護者全員がPTAの仕事に就かなくてはならないシステムだった。共働きの我が家では、小学校の情報が回ってくることもなく、初年度は静観の構えだった。というか、わからないまま時が過ぎていったと言った方がいい。PTA      は「子供が卒業するまでに何か重要な役割を一年間やってください」という姿勢だったため、働く親たちでもきっとできる程度のものだと安直に考えていた。

 

学校の方針として最終的な役員決めに「くじ」を使用することを認めていた。         つまり強制だ。強制できる程度の仕事内容だと勘違いしてしまっていた。実はそこに基本的な無理がある。それでも学校におけるPTAの存在には関心があったし、無視できない気弱さも手伝って、担当決定の日に手を挙げた年もがあった。(正しくは担当決定の話し合いの日に欠席したが、「誰もやらないようならやります」と伝えておいたのだ。)

 

ところが、学校にいつ行くかという根本的な問題が常につきまとった。勤め先から帰宅する頃には学校は閉まっている。仕事中に電話もできない。学校のアドレスにメールを出しても何の返信も帰ってこない。ほかの人にお願いして手伝ってもらったが、これがなかなかうまくいかない。ほかの人だって忙しいからだ。私の都合にいつも合わせられるわけではない。

 

任期中に後悔は何度もあった。「これは自分のような人間にはできないことなのだ。能力のない者が担当すれば、かえって迷惑になる」と。「そもそも(うちだけかもしれないが)、学校行事に顔を出すことだけでも難しくてずいぶん葛藤していたくらいなのだから」と。

 

本来は校長が時代に合わせて方針を示していくべきだと思う。保護者にPTA組織を委ねすぎると、いつか崩壊してしまう。組織として活動を維持するためには、なんとか最低限共有できる時間が必要なのだ。しかし、生活時間を共有できるほど家庭の在り方は単純ではない。社会や家庭や子供の実態ばかりが変化して、PTAだけが取り残されてしまっている。

 

改革が必要になっていることに気付きながら、なぜ学校は動かないのだろう。                  小さい子供を抱えた共働き家庭の悲鳴がきこえてくるようだ。