小学生/中学生ユーチューバーって

「ゆたぼん」の存在が気になっている。

 

教育記事を追っかけているとyahooが拾ってくれるので、どうしても目に付いてしまう。ずっと目の端で気にしながらもずっと長い間覗こうとしていなかった。なんだか自分まで飛び込むのは世界が違う?ような気がしていた。なんせ著名人らがこぞって反応している華やかな世界なのだから。

 

でもやはり気になったので、you tube でなく講演会の動画がアップされているものを視聴した。

 

んー…やはり違和感がある。不登校についてとかじゃなく、ホームスクーリングとかについてでなく、「ゆたぼん」の話し方が。もうね。「客」を意識しているのだよ。ゆたぼんは。マイクの持ち方や使い方が、商売人っぽいのだよ。

 

一種の英才教育と言ってもいいのかもね。ゆたぼんのパパさんがその中で語っていたけど、自分の意見をはっきり言える能力は年齢相当ではないね。秀でているよね。

 

不登校には子供によっていろんな背景があるので、「ゆたぼん」はその一人として捉えればいいのではないかな。

 

しばらくして気になったら(気になることがあるかな…)また覗いてみよう。

 

一つの安心ツール? ん?お守り?

抗原検査キットを国が80万回分準備して学校に配付するらしい。最初に聞いたときは、児童生徒の対応中心だと捉えてしまって驚いた。学校でコロナの対応が出来るわけがないのに、何のための検査だ?と思ってしまったからだ。

 

萩生田大臣の発言を聞くと、

・原則教職員向け(ただしすぐには病院に行けない小学校4年生も対象になる)

・一つの安心を確保するツールとしてとらえている

ということだ。一瞬で知り合いの養護教諭の顔が浮かんだ。困るだろうなあ…と考えてしまった。基本的には症状のあるときに使用するキットなのだが、できるだけ使いたくないのが本音だろう。安心ツールというのはお守り的存在ということなのだから、それでいいのだろう。お守りはあるけど(ないと捉えて)「基本的には教職員一人一人の自己管理で」と考える学校が圧倒的なばすだ。

 

看護師が常駐している特別支援学校に的を絞るとか、基礎疾患のある教職員・児童生徒のために備えとして常備するとか、活用法をもっと示すべきだったのかもしれない。積極的に使えない検査キットなら配付しない方がいい。そう思っている人は自分だけじゃないはずだ。

東京都町田のいじめ

町田の小学校6年生の女の子が昨年11月に他界している。原因は学校のいじめだ。タブレットの入力パスワードが全員同じだったことから、一人の児童に対するチャットの陰口が教室全体で共有できてしまった。もちろん、陰口を書き込まれた本人も読める状態だった。学校で使用するICT機器で最悪の事態が起こったのだ。

 

この件で校長の対応が叩かれている。

 

被害者が自死に至ったいじめは明らかに重大事態だ。重大事態の対応は法律で規定があり、事実確認など第3者委員会での調査ができる。まして、町田のケースは遺族からの要望があったのだから、すぐに教育委員会に報告して調査を実施すべきだった。2ヶ月半も待たされた挙げ句、同じ教室で学んだ児童達やその保護者達に疑問を抱かせたまま卒業というのは最悪のパターンだ。

 

子どもの命が失われた事件が起こっていて、なぜ平然としていられるのだろうか。平然としていたわけではないーかもしれないが、遺族やその他の在校児童、そして在校児童の保護者の目にそう映ってしまった事実は覆らない。

 

このようなひどい学校の対応を知るといつも思う。なぜ教員を辞めないのだろうかと。

 

そうまでして学校教員でいつづけたいだろうか?教員を続ける資格があるのか自問してみたのだろうか?

 

遺族が少しでも納得できる状況が望まれている-それだけだと思う。

 

学校のICT格差

学校のICTが推進されてきている。コロナウィルス感染症の影響を背景に加速化しているのは事実だ。しかし、令和3年9月現在広島県一つとってもばらつきが大きい。地域間格差・学校間格差がありすぎる。特に推進が進んでいるのは広島市だ。電子黒板の様々な機能を使って授業をすることが当たり前になっている。

 

しかし、県内の地域によっては、プロジェクターの設置さえおぼつかないところもある。そういう学校では熱心な教員にとってプロジェクターの効果を試すことさえできないのは当然ながらもどかしく感じる。ではどのように主体的な学びを生み出しているかというと、自前で用意するのだ。先生によっては、事務を通して購入やら修繕やらを頼むのは(気持ち的に)難しいので、すぐに試せる方法として自分のプロジェクターを使うということに至ったらしい。このような教員は一人二人ではない。

 

プライベートで所有しているものを活用するというならまだ分かるが、授業のためだけに購入計画から練る人もいる。学校で使用される機器は一定の性能が必要になる。「明るく広い部屋で使用できる物がいいからね」と悩んでいた先生は、結局自腹で○○万円するような物を購入していた。いずれ電子黒板が普及すると考えても、それを待っていられない気持は痛いほど分かる。

 

機器が揃っていればいいかというとそうではない。どう使うかが重要だ。自分も授業にZOOMを使用しているが、対面オンリー/対面とZOOMの併用/ZOOMオンリーで気を遣う部分が違ってくる。対面オンリーだと黒板の使用も効果があるが、ZOOMオンリーだと逆に制限がかかる。ZOOMオンリーだと画面共有が使えるが、対面とZOOMの併用だと教室にいる人には見えないなどだ。どういうシチュエーションで誰を相手に授業をするかによって、不都合な使い方を削っていくしかない。

 

パソコン1台で手軽に始められる良さはあるし、他の機器との組合せを考えると用途選択は広がる。多様な生徒の実態に応えるためにも、いろいろできる今がチャンスかもしれない。

授業内容がわからない

◇2021/9/13朝日新聞デジタルの記事に

 

小学校・中学校・高等学校の児童生徒にアンケートをとった結果が出ていた。世間の関心は高く、朝7時の配信で9時にはコメントがびっしり。

 

最も驚いたのが「授業の進み方が早すぎて、内容がわからない」の質問に「よくある」「時々ある」と答えた高校生が48.1%だったことだ。どうしても高校での授業は大半が入試や就職を意識した授業展開になる。定期テストの範囲まで進むことを余儀なくされるので、機械的な作業と化すことも多い。今まではそれが一般的な学校風景だった。児童生徒一人一人に個別最適な学びが求められる時代になっても、急には変われない。基本的には一斉授業スタイルだからだ。

 

ところが、コロナ禍の学校に不安を抱く人が児童生徒や保護者を中心に増えてきた。今回の記事にしたって、わざわざ8月の学会の内容を取材した背景には、そのような事情が関連している。

※アンケートは13都道府県の1396人の児童生徒からの回答で、日本大学や金沢大学の先生のグループが教育学会で発表したもの。

 

◇高校生自身は意外にも情報不足だ。

高校生はスマホを使って情報を集めるのが得意だと思っている大人も多い。もちろん、そういう一面はまちがいなく長けているところはある。しかし「自分が何に困っているのか、何に悩んでいるのか」「今、どうすればよいのか」といった自分の気持ちや現状の問題を整理できる力は弱い。困り度が高くなればなるほど迷路の中に入り込む。では大人はどうしてやるのがよいかというと、ひとつひとつ“謎”になっている部分を紐解いてやることがとても重要だ。

○現状がどうなっているのかを整理

・部活等の活動内容(忙しい日の特定)

・一番ツライ曜日はいつか。

・睡眠時間は確保できているか。

・読書やゲーム等の趣味の時間はいつどれくらいか。

・学校の授業の苦手教科は何か。

・比較的ラクに感じる教科は何か。

・学校の先生の中で相性の良い先生はだれか(逆もアリ)。

・苦手な教科の教材(教科書や問題集)を出してみて、どこらあたりからわからないのかをはっきりさせる(複数教科あるなら一教科から順に。一度に全部やるとイヤになる。)。など

 

簡単に書いているが、これだけを大人と共有しようと思うとかなりの対話時間が必要になる。向かい合う大人の覚悟のようなものも必要になってくる。「大人」とは、保護者でもじいじやばあばでもいい。塾の先生にお願いしてもいい。家庭教師という手もある。学習の状況を他者と共有することで、子供自身の課題を整理することにつなげるのだ。

 

あとは意識が継続するよう、定期的に声をかけることが大切。(家族の場合)喧嘩にならないよう、「あれからわからないことが増えてないか?」のように工夫したり、対話する時間や曜日を決めたりするのもいい。

 

○先生を味方に

うまくいったら、学習方法を具体的に考えられるようになる。学校の先生に相談してみるのもいい。学校の授業が分からないということは、学校離れに直結してしまう。相性の良い先生を見つけて(小テスト範囲の確認でもなんでもいいので)自分から話しかけていく機会を作ると、徐々に気持ちが学校に向かうようになる。地味で気の長い作戦だが数か月単位で見ると教員にとっても生徒にとってもメリットしかない。教員にとって日々変わっていく生徒一人ひとりの状況を把握するのは難しい。生徒から話しかけてくれば実態が掴みやすくなる。一方で生徒にとっては、いざとなったときに相談できる教員が学校にいることは心強さになる。

 

コロナ禍だからこそ学校や塾も手探りだ。子供一人に現状打破を任せるのではなく、一緒に乗り越えようとする姿勢が子供の未来を作る。

 

 

「電子麻薬」と書いて…

フランスでは、電子デバイスを学校に持ち込むことを禁止する法律(2018年)があるそうだ。スマホを含むiPadなども対象になる。日本は教育のデジタル化を推進しているから、まるで逆の扱いだ。

 

確かに電子端末の利点は大きい。コロナ禍で他者とつながるためには不可欠な存在だろう。学校で配付するプリント類などの削減にもなるし、保護者と学校をつなげるにも役に立つ。英語等の教科学習では、リスニングのための音源にもなる。写真が撮れるので、教室の中でのコミュニケーションツールにもなる。意外に良いところばかりで驚いてしまう。学校の先生の中には、タブレット等を嫌って、やたらプリントを配付し、紙の辞書を使いたがる人もいるが、児童生徒から見ればそういう先生はたいてい「おばあちゃん」「おじいちゃん」のイメージだという(息子に聞いた)。

 

ちなみに自分は辞書は男子辞書を使用しているし、デスクトップパソコンとノートパソコンを所有している。主として仕事のためだが、スマホは仕事にもプライベートにも使用中だ。だからと言って、紙が良い場合もある。教室に持ち込むテキストに関しては、パソコンの中のデータを覗くよりも紙の方が断然いい。電車やバスの中で読むのも紙の方が持ち込みやすい。

 

小学生の所持率も高くなってきたスマホを筆頭に、その利用方法として懸念されるのは「ゲーム」の存在だ。ゲームにもいろいろあるが、特にアバターを介して見ず知らずの人と会話ができるものは犯罪とつながりやすい面がある。インターネット上でゲームができるようになってその娯楽性は高まっているが、夢中になりすぎて、現実の世界で生活するよりも仮想現実にはまってしまう子どもがいるのも事実だ。昼夜逆転現象が起こるのも中毒性を持つゲームならではだ。

 

中国では子どもたちのネットゲームなどを規制する方向らしい。中国のことだから、決めたらとことん規制するのではないだろうか。「電子麻薬」と書いて「ネットゲーム」と読む。なるほどな、と思わされる一面がある。

令和4年度教員採用試験

令和4年度広島県広島市教員採用試験に思うこと

教職教養が全てにおいてマークシートの形式になった。問題を読んで初発の感想-「簡単すぎる!」-かなり衝撃的だったのを覚えている。気持を立て直すのに時間が必要だった。教員採用試験がマークシートになるのは、コロナウィルス感染症対策だったり、働き方改革だったりの事情があるに違いないので(+あと受験倍率低下の防止策も)、そこは良しとしても、出題のレベルをここまで落とす必要があったのかどうかは疑問だ。

 

もちろん勉強していなければ解けない問題だと思うが、これまでの記述式の問題を思い浮かべると、かなり難易度を下げたものになった。

 

なんとかショックから立ち直って、問題の良さを探してみることにする。すると、マークシートの特性をうまく使って、法律などは幅広く出題しているではないか!きっと問題作成者たちはこれまでもさまざまな教育関連法規に目を付けては、設問数の限界があって出題できなかったんだろうなあ…としみじみ。(これまでは空欄補充記述と法律内容記述の設問で多くて4種類の法律からしか構成できなかったのだ。)ヤマをはって、とにかく内容を暗唱するしかなかったので、ひたすら受験者にとってツライ状況だった。しかも教育法規の基礎を勉強してほしいという教育委員会の願いを横目に、受験者はヤマをはったせま~い範囲の中をひたすら繰り返し覚えるだけで、どのような法律が学校運営に影響しているかなどとは考えもしない。悪循環が生じていたいたことだけは確かだ。

 

幅広い出題をしていけば、受験者は間違いなく法律の趣旨を勉強ざるをえなくなる。そして子供達がさまざまな法律で守られていることに気づくことに繋がる。もう少し選択肢の内容を複雑にしていけば、今年のように誰でも正解が導けるということはなくなるだろう。これまでの広島県広島市の高い教育レベルを引き続き誇れるに違いない。